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またまたちょっと間があいてしまいましたが神戸は長田区丸山から鵯越までを歩いた続きです。
最後になりますが神戸電鉄の鵯越駅です。
そもそも鵯越ってなんて読むんだって感じですよね。
源義経の話をよく知っている人は聞いたことがあるかもしれませんが神戸は須磨で行われた戦い「一の谷の合戦」で迂回したってところで出てきます。
鵯越(ひよどりごえ)ですね。鵯越の逆落しって言われる斜面を降りての急襲の話ですね。場所については諸説あるようですので興味を持った方はいろんな書籍を読むと面白いと思います。
だいたい小学生くらいになると学校の先生や近所の大人たちが義経にまつわる話をするわけです。
またドラマや小説で義経の一の谷の合戦の下りになったりすると、鵯越の話が出てきて、それらが頭の中でストーリーとなるわけですが、そうなると、子どもの想像力でも「そうかこのあたりを通って須磨へ。。。 急襲」ってなったところでふと「ここからだと須磨まで遠すぎじゃね?」となります。なのでネット上でもいろいろ考証してますので検索してみてください。
この駅が最寄り駅だったわけですが恐ろしいくらい変わってませんでした。
ただ記憶では小学生低学年くらいに駅が移動してます。もう少し丸山寄りにあったと思いますが移動して少しきれいになったように思います。
駅のまわりの建物もリフォームした感じはしますが変わってないです。
駅のまわりは里山と呼ばれる地名で子どもの頃は八百屋さんや食堂なんかもあってもう少し賑わっていたように記憶しています。
この食堂「ひよどり亭」はたしか八百屋さん(雑貨も多少置いていた)でした。
ここからの眺めも恐ろしいくらい変わってないです。ここを通って鵯越の駅から高校まで神戸電鉄で通ってました。
この茂みの中から屋根がちらっと見えているアパートに小学生から中学生にかけてずっと同級生だった友だちが住んでいた。まだ建っているのが驚きです。築何年だ?
そして後ろの威容ある建物(高齢者ケアセンター)は当然のことながらなかったなー。
もうなんというか、このあたりで子どもの頃になかった建物のほとんどが高齢者向けの施設というところが時代を感じさせますね。
こうやって子どもの頃に育った街を歩くとほぼ変わってなくて東京の変わり具合とのコントラストに驚かされます。 渋谷にしても東京駅にしても銀座にしても変わりすぎだろ。